枝にもる朝日の影のすくなさに涼しさ深き竹の奥かな 京極為兼
枝にもる朝日の影のすくなさに涼しさ深き竹の奥かな 京極為兼 四一九
訳)枝をもれる
朝日のひかりは
ほとんどまばらで
深々たる涼しさよ
この竹林の奥
◯『玉葉和歌集』巻三、夏。『玉葉和歌集』は、1312年、京極為兼によって奏覧され、翌年完成した。『新古今和歌集』の栄華から百年、政治や歌道の党派争いは熾烈を極めもはや絶対的な権威がゆらぎつつあるなか、為兼は先達の模倣を脱した清新な歌風をうちたてた。群生する竹林に朝日はほとんど差してこず、いちめん影におおわれている。竹林の奥へ行くほどその涼しさは重みをましてゆき、俗世間をはなれた神境のようだ。「涼しさ深き」といった表現は京極派の得意としたところ。本来ならつづかないふたつの用言をならべ、あるいは衝突させることでことばの意味を増幅させあらたな情感、景色を生みだす。
のどかなる入相の鐘はひびき暮れて音せぬ風に花ぞ散りくる 前参議清雅 二五九
岩根つたふ水のひびきは底にありて涼しさ高き松風の山 大江宗秀 四三二
空清く月さしのぼる山の端にとまりて消ゆる雲の一むら 永福門院 六四三
雨のおとの聞こゆる窓はさ夜ふけてぬれぬにしめる燈のかげ 伏見院 二一六九
以上『玉葉和歌集』
なお、このうたにはどこか漢詩のもつ恬淡さがあり、おのずと王維の詩がうかぶ。
空山不見人 空山 人を見ず
但聞人語響 但だ人語の響くを聞くのみ
返景入深林 返景 深林に入り
復照青苔上 復た青苔の上を照らす
独坐幽篁裏 独り坐す 幽篁の裏
弾琴復長嘯 琴を弾じ 復た長嘯す
深林人不知 深林 人知らず
明月来相照 明月来って相照らす
それぞれ朝、夕暮れ、夜と時間は異なっているが竹と光を詠んでいる点はおなじだ。和歌においてさびを感じさせるものはそうそうない。