誰そ彼れと我をな問ひそ九月の露にぬれつつ君待つ我を 柿本人麻呂歌集
誰そ彼れと我をな問ひそ九月の露にぬれつつ君待つ我を 柿本人麻呂歌集 二二四〇
訳)だれだろうあれはと
わたしを指さないでください、あなた
九月の
つめたい露にぬれながら
あなたを待っていたわたしのことを
◯『万葉集』巻十、秋相聞。「誰そ彼れ」は「だれだあの人は」、そこからひとのすがたがはっきり見えない夕ぐれの時分をさす。すなわち黄昏。「九月」は旧暦の九月で晩秋。
このうたは誰が誰に問うているかによって解釈がわかれる。まず、見ず知らずの他人が「我」に問うてるとすれば、あたかもマッチ売りの少女を見かけたような同情をもって視線を注いでくるのに対して、そういう憐れは要らないと押しのけるようなうたになる。つぎに、問う主体がまさしく「我」が待っていた「君」だとすると、とたんにうたは悲劇的になる。その君は仲間とうちむれて歩いているところ、待ちぼうけの「我」をみつけた。わたしも向こうに気がついた。ところが彼は仲間に対して、「誰だろうねあの人は」とささやきまるで無関係なふりをして去ってゆく、待っててくれと言ったのはあのひとなのに。
わたしは後者の解釈をとりたい。「我をな問ひそ」の「我」を、「わたしに」ではなく「わたしのこと」ととるのだ。ただ前者でとってもうたの魅力はそこなわれない。なにか劇のひと場面をおもわせるうただ。そのひとのすがたが消えたあとにも、ぽとぽとと木からつめたいしずくが落ちてくる。抑制された感情、叙景表現のなかに哀切な心情がつよく秘められている。
