こぞの夏荒れたる水のあとと聞く道の辺に咲く紫の花 湯川秀樹
◯『深山木』(1971)所収。前書き「飛騨の平湯にて」。湯川秀樹は日本人初のノーベル賞(物理学賞)受賞者で高名な科学者であったが、漢籍や日本の古典に造詣がふかく、みづからも和歌を詠んだ。中学時代は厭世観におそわれ西行に傾倒したという。氏のうたは、古典の教養に裏づけされた文体の緊密さ、科学者としての知性と物を観る眼のたしかさ、そしてその人となりののびやかさが重なっている。「こぞ」は去年。一年前、水難に遭った温泉街の道のべに、ムラサキの花が可憐に咲いている。なにげない一首だが、自然をみる眼のやさしさと沈着さが味わい深い佳品。
山川のたぎつるなべに草と木の茂るまにまに歩むひととき
(「なべに」は、〜とともに、〜と同じにの意)
天地に生れて山川草木によする命の短かかりける
