春立つや愚の上に又愚にかへる 一茶
春立つや愚の上に又愚にかへる 一茶
○文政六年の作。文政句帖「年立つやもとの愚が又」、自筆本は中七「愚の上を又」。
新年、還暦をむかえた一茶の所感といえよう。年があらたまると、身もこころも清々しくあたらしい気持ちになるが、それはひとときの錯覚でもある。去年よりはよい一年を、あるいは未熟な自分がすこしでも成長できますように、と願うのは年末年始の醸すふしぎな雰囲気のせいだ。日常にもどれば目標はしだいに色褪せてきてゆき、そしてまた年が暮れる。このくりかえしだ。
一茶ほど生活が過酷だった俳人もいないだろう。継母、義弟との確執および遺産相続争い、子をつぎつぎと亡くし、妻にも先立たれ、郷里の家も焼失し、わびしい土蔵を住み家とした。風雅な生き方、あるいは学問の高邁さなどは一茶からみれば幻影にすぎなかっただろう。愚は賢へのたんなる道程ではない。一茶にとって愚はあらためて愚にかえるのだ。自嘲のポーズをとっているが自負もみえかくれている。それは己れのつたなさを知りつくした者にとっての事実であり、人生の苦みをあじわいつくしたゆえの真実でもあっただろう。