何に此師走の市にゆくからす   芭蕉

◯元禄二年の年末、近江膳所での作。この年は「奥の細道」を旅した年で、芭蕉の生涯でもっとも油の乗った時期だったといえよう。旅を終えた芭蕉は近江(現滋賀県)を定住の地とする。

「此句、師のいはく、五文字のいきごみに有」(『赤冊子』)というように、出だしから力づよい気息を感じる。どうしてこの歳末の市にとんでゆくのか、カラスよ、とどこか咎める調子でありながら、羨望の意もほのめかされている。しずかに庵のなかで長旅をした一年を顧みながら過ごしていると、空に一羽のからすが飛んでいるすがたが見えた。方角からして、ひしと賑わう年の市へゆくのだろう。年の市は、新年にむけた飾り物などを売る市場のことで年末に催される。そこにはあの年末特有のまちの雰囲気、そして昂揚感がある。

「年の市線香買に出でばやな」(貞享三年)

といった句をつくったように、芭蕉は雑踏のにぎわいを愛していた節がある。枯寂な漂流者のイメージだけで芭蕉をみるのはおおきな誤りだ。その両極端の振幅のひろさこそ芭蕉の魅力。さびと豪奢を一つ身に宿し、片方に偏せず、おおきな人格をもって二つの美学を混沌と保ちながらひとつの句に表現しきった所に、芭蕉の凄さがある。

歳末になると、所用もなく、あとはしずかに年越しを待つのみだが、どうしても雑踏のにぎわいが恋しくなる。買うものもないのに、年の市へ行きたくなる。飛んでゆくからすに呼びかけると同時に、じぶんにも問いかける。「おまえはどうして市へゆきたいと思うのか」。ひとりに徹したい心境と、群集のなかにまぎれたい気持ちがピタリと、象徴的に言い表されている。

芭蕉の句で、カラスを材とした句でぱっとおもいうかぶのは

「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」

「旅がらす古巣はむめに成にけり」

のふたつである。わたしたちはここに詩人がみづからを象徴した影像をみるが、そこにはとどまるカラスと流れるカラスのふたつのイメージがある。このふたつこそ螺旋のごとくねじれあいながら芭蕉の生涯を貫いたテーマであった。そして今回の句は、そのふたつの心境がひと息に重なって表現されている、といえないだろうか。カラスは市へとんでゆく、そしてわたしは家にとどまる。しかし心はカラスとなってともに市へとんでいる。止まりながらも流れてゆく。

さいごにひとつ。今は指摘するだけにとどめるが、「何に此」の「此」という語がもつ役割はけっして小さくない。この口語的かつ具体性を示す語によって、どれだけ現実がいきいきと伝わることだろう。これこそ俳諧の面目といえよう。「なにゆえに」と変えてみれば、その力づよさは歴然とする。だからこそ芭蕉も「五文字のいきごみ」をこの句のかなめと語ったのだろう。あえてひとつ疑問を提示しておくならば、「此」は「師走」にかかるのか、それとも「市」にかかるのか。この考察はまた他日に。

芭蕉の句で「この」、あるいはそれに準じた語の用例を探してみると、

「此山のかなしさ告よ野老堀」

「此海に草鞋すてん笠しぐれ」

「此程を花に礼云ふわかれ哉」

「此ほたる田ごとの月にくらべみん」

「市人よ此笠うらふ雪の傘」

「此梅に牛も初音と啼きつべし」

「此あたり目に見ゆるものは皆涼し」

「此寺は庭一盃のばせを哉」

「冬籠りまたよりそはん此はしら」

「此こころ推せよ花に五器一具」

「花にねぬ此もたぐいか鼠の巣」

「此槌のむかし椿歟梅の木か」

「みしやその七日は墓の三日の月」

「月やその鉢木の日のした面」

などなど。枚挙に遑がない。「此」は具体的であるためあたかも作者とともに読み手がその物をみてるような親近感をもたらすが、一歩間違えると卑俗におちいる。たとえば、

「この松をみばへせし代や神の秋」

「此たねとおもひこなさじとうがらし」

などは、俗に寄りすぎていていささか感興は乏しい。卑俗と軽みは近いようで遠い。しかし、わたしたちは芭蕉の最晩年、「此」をつかった軽やかで重厚な三つの名句を知っている。

「人声や此道かへる秋の暮」

「此道や行人なしに秋の暮」

「此秋は何で年よる雲に鳥」

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