風寒み木の葉晴れゆく夜な夜なに残るくまなき庭の月影 式子内親王

 

風寒み木の葉晴れゆく夜な夜なに残るくまなき庭の月影  式子内親王(生年未詳~1201年)

 

訳)

風の寒さゆえ

木の葉は散り、空はあらわになってゆく

夜ごとに

あまさず庭を

照らす月光

 

○『新古今和歌集』巻六、冬。六〇五。いままでは茂る木の葉によって月のひかりがさえぎられていた。しかし、冬に入り、きびしい風がふきだすと木の葉は夜ごとに散ってゆきとうとう裸木になってしまった。月をふさぐものは何ひとつなく、庭の隅から隅まで青白く照らされている。「晴れ行く」「夜な夜な」という語から、すこしずづ月のひかりが庭に満ちてゆくさまが見てとれる。ひとつの美が衰えはてたと同時に、いや、まさにその衰えゆえにもうひとつの美があらわれる。以前、

「花散りし庭の木の葉も茂りあひて天照る月の影ぞまれなる」曾禰好忠 新古今[186]

といううたを紹介したが、こちらは対照的に木の葉によって月が隠れる趣向のうた。

今回のうたの肝は「木の葉晴れゆく」という表現で、これをためしに「木の葉散りゆく」と変えたとき、その平板さに気がつく。「散る」と聞いたとき、わたしたちの視線は上から下へおちる。いっぽう、「晴れ」と聞いたときは下から上へ目は移動する。そのときわたしたちは徐々にあらわれつつある月光を知覚し、待望する。そこにはあこがれの情がある。そして、すべての木の葉が散ったのを確認したとき、庭には月のひかりが満ちている。「散る」では陰にかたむき過ぎる。「晴れ」は陰と陽を両義的に言いあらわしている。それゆえ、沈鬱な美を表現しつつもどこかあたたかい情緒を醸している一首となっている。

式子内親王は新古今時代を代表する女流歌人。後白河天皇の皇女。その生涯はあきらかでない。藤原俊成に師事して和歌をならい、妖艶静謐な作品をおおく残した。個人的に、好きな歴代女流歌人のベスト3には入ります。ほかは、和泉式部と永福門院ですかね。

 

 

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