神無月風にもみぢの散る時はそこはかとなくものぞかなしき 藤原高光
神無月風にもみぢの散る時はそこはかとなくものぞかなしき 藤原高光(940頃~994年)
訳)ときは神無月
風に紅葉が吹かれ
散ってしまった
なにとなく、はかとなく
悲しくおもわれる
○『新古今和歌集』巻六、冬。五五二。詞書「天暦御時、神無月といふことを上に置きて、歌つかうまつりけるに」。神無月は陰暦十月、いまでいう十一月あたりで冬のはじまり。天暦御時は、村上天皇の治世のときで、おおよそ九五〇年前後をさす。まさに古今調ともいうべきおっとりとしたしらべのうた。風に紅葉が散った、それがなんともいえずものがなしい、というだけだ。とくに後半の「そこはかとなくものぞかなしき」こそ王朝美学の精髄ともいえる。万葉集ほど雄壮でなく、新古今ほど(新古今に入っているのだけれども)繊細ではない。このどっちつかずの抒情、「そこはかとなさ」をそのまま口にするところに古今集らしさがある。それは現実と想像のあいだにゆらぐ美感ともいえる。現実に重点を置けば写実的に、想像に重点を置けば象徴的になる。日常と藝術がまじりあっている世界ともいえよう。新古今は、藝術をつきつめた最高峰の歌集。
厳しい批評眼をもつひとは、この弛緩したしらべ、そして感情をたやすくあらわにする女々しさがゆるせないだろう。もしこのうたに惹かれたなら、あなたはきっとおっとりとした、ふくらみのある心をもっているといえる。こうしたうたはややもすると俗に陥りやすいが、このうたはひと息でよみくだしたしらべのすがすがしさがあり、余計な技巧がない分こころよく味わえる。
藤原高光は、高貴な生まれでありながら若くして出家をした。そのいきさつを綴ったのが『多武峰少将物語』(高光日記とも)。突然の出家であったため半ば伝説的な存在になった。なお今回のうたは出家前の詠作と推察される。