筑波嶺の嶺ろに霞ゐ過ぎかてに息づく君を率寝てやらさね 東歌・常陸国歌
筑波嶺の嶺ろに霞ゐ過ぎかてに息づく君を率寝てやらさね 東歌・常陸国歌
訳)筑波山の
峰にかかる霞、たぢろぎもせず
過ぎ去るのもためらい
嘆きの息をつくあのお方を、さあ、
連れてきていっしょに寝てあげなさい
◯『万葉集』巻十四、三八八八。上二句は序で、霞が立ちわたり消え去らぬさまから、「過ぎかてに」を導く。家の中から、娘に求婚しようとする男のすがたがみえる。男はこっちに寄ってくるのではないが、かといって過ぎ去ろうともしない。その「息づき」ながらためらっている様子は、筑波山にかかる霞のよう。「嶺ろ」は、峰のこと。霞と息づくという語の連関が妙になまめかしい。そして、五句目の「連れてきていっしょに寝てあげなさい」という言葉を聞くや否や、わたしたちは娘の背後にいる年長者の存在にはじめて気がつく。山本健吉は「親しい姉分の者か、口利き婆さん」かと推測している(『万葉秀歌鑑賞』)。誰かはともかく、この一言はうたを立体的にし、劇の一場面を見てるようなこころもちにさせる。女も、男同様ためらいがちに外をのぞいているので、見かねてこうした強い言葉を投げかけたのだろう。霞につつまれた筑波山のイメージを背景として、逡巡する男女と節介やきな年長者がなまなましく且つ的確に描かれている。官能的でありながら劇的な一首。
