秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ 磐姫皇后
秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ 磐姫皇后
訳)秋の田の
稲穂の上にたちこめる
朝霞
行く末見えぬその景色
そしてわたしの恋ごころ、どこへ晴らせばいいの
○『万葉集』巻二、八八。詞書「磐姫皇后の天皇を思ひて御作りたまひし歌四首」。磐姫皇后は、仁徳天皇の皇后。『古事記』では「石の日売の命、甚多く嫉妬みしたまひき」「(皇后は)言立てば、足も足搔かに嫉みたまひき」と、嫉妬深い女性として書かれている。巻二(相聞)の巻頭に皇后の四首がならんでいて、このうたはその四首目。
「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(八五)
「かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根しまきて死なましものを」(八六)
「ありつつも君をば待たむうちなびくわが黒髪に霜の置くまで」(八七)
上三句は序詞とはいえないがそれ同等の役割を果たしている。実景を叙しつつ、そのさまがしだいの作者の心に湿潤し一体化してゆく。満たされない恋ごころ、やり場もなく懊悩するいまのじぶんのさまが、秋の田の朝霞と重なってみえる。皇后は伝説的な存在なので、このうたは本人がうたったのかは確証できない。民謡的に伝わっていたうたが皇后に仮託されたのかもしれない。それでもわたしたちは皇后の気性をおもいうかべてうたを味わう。嫉妬ぶかく、恋に悩み多き皇后がひとり佇み霞をみつめ、燃えさかる恋の炎をうちに秘めつつ、静謐朦朧たる景色とひとつにとけてゆくすがたが見る。