さ雄鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極みなびけ萩原 作者未詳
さ雄鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極みなびけ萩原 作者未詳
訳)雄鹿が
妻をあつめようと
鳴く声が
果ての果てまでとどけ
そしてなびけ、萩原よ、妻たちよ
◯『万葉集』巻十、秋雑歌。「ととのふ」はまとめる、統率するの意。秋は鹿の発情期。鹿は一夫多妻のようで、一頭の雄が多くの雌鹿を率い群れをなす。奈良といえば鹿だ。いまでは観光の対象として親しまれているが、古代ではすなわち恋を連想させた。
「君に恋ひうらぶれ居れば敷の野の秋萩しのぎさ雄鹿鳴くも 2143」
「秋萩の咲きたる野辺はさ雄鹿そ露を分けつつ妻問ひにける 2153」
萩は鹿の妻として擬人的に詠まれた。この一首は、一頭の雄鹿が鳴いているのだから、雌鹿たちよ、みんな彼になびいてほしい、という意味になる。ここには作者自身の恋のおもいもこめられている。現代において、女性にとっては納得のいかないうたかもしれない。鹿、萩、そして人のおもいがかさなりつつもあくどさを感じさせず、どこか勇壮なこころもちにさせる佳品。下の句の「至らむ極み」「なびけ萩原」のリズムがいい。四句目で切れて、せきたてるように命令形でしめるながれが一首を劇的にさせる。