はるかなるもろこしまでも行くものは秋の寝覚めの心なりけり 大弐三位
はるかなるもろこしまでも行くものは秋の寝覚めの心なりけり 大弐三位
訳)はるか遠く
唐土までも
行くものは
夜長の秋にはっと目覚めた
このこころなのだなあ
○『千載和歌集』巻五、秋下。巻頭歌。大弐三位は、紫式部の娘。「もろこし」は、中国のこと。古代の暦では、五行説の影響から秋は西にあると考えられていた。そのこともふまえて、秋のねざめのこころが遥か遠くのもろこしまで飛んでいったようだ、という。屈折せず、まっすぐなしらべのなかに幽かな情趣がある。恋か、孤独か、別離か、老衰か、これと断定せず「寝覚めの心」と表したおかげで一首にふくらみがでた。ただし古典和歌では、「寝覚め」は恋ごころのあらわれを暗示し、また「秋」は「飽き」と掛けられ男に飽きられたことをほのめかすので、恋ごころをかさねて読むのが正統な解釈だろう。しかし、そうしなくてもこのうたのよさはかわらない。一見おおげさな表現と思われるが、よみおえたあとに、じわじわと秋の夜の寂寞とした気配が立ちこめ、外では強風が戸をたたき、ひとり床に目をさました女性のすがたが浮かび、気がつくと小さな部屋と海のむこうの大陸とが縹渺とつながってゆき、なんともいえぬ宏大な秋思のわびしさが感ぜられてくる。名歌。