山ふかき落葉のなかに光り居る寂しきみづをわれは見にけり 斎藤茂吉
山ふかき落葉のなかに光り居る寂しきみづをわれは見にけり 斎藤茂吉(1882~1953)
○『赤光』(大正2年)所収。「睦岡山中」。一月の寒たる山奥へ歩んでゆくと、道には雨に散った落葉が敷き詰められている。よくみるとそのなかに、雨がたまってできた水たまりがある。枯葉にまわりをかこまれて、どこかへ流れることもなく、人目につかない寒山の奥でしずかに光っている。その「寂しきみづ」を作者はじっとみつめている。その寂しさは、作者の感情を投影させたものではなく、存在する万物のすべてがかかえる、いわば存在していること自体の寂しさを思わせる。「みづ」は、あるいは川をさしているかもしれない。静謐でさびを感じさせるうただが、結句の「われは見にけり」こそが短歌の短歌たるゆえんで、俳句にみられる枯淡とはちがい、人間の息づかいが一首にしずかな熱情をふきこんでいる。
斎藤茂吉は、二十世紀最大の歌人。万葉集を源泉とした沈痛なしらべと的確かつ壮大な自然描写が魅力。第一歌集『赤光』は近代短歌の金字塔で、短歌におけるあらたな抒情を切りひらいた。
寒ざむとゆふぐれて来る山のみち歩めば路は濡れてゐるかも
われひとり山を越えつつ見入りたる水はするどく寒くひかれり
天さかる鄙の山路にけだものの足跡を見ればこころよろしも
ふゆ山に潜みて木末のあかき実を啄みてゐる鳥見つ今は
以上『赤光』「睦岡山中」より。