夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ 凡河内躬恒
夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ 凡河内躬恒 一六八
訳)夏と秋とが
ゆきちがう空への
通い路には
片方だけにすずしい
風がふいているのだろうか
『古今和歌集』巻三、夏。詞書「みなづきのつごもりの日よめる」。「みなづきのつごもり」、は六月の末日、すなわち夏のおわりの日である。注意しなければならないのはこの六月は旧暦の六月のことで、現在つかわれている太陽暦の六月と混同してはいけない。旧暦では、現在の8/8あたりが立秋の日なので、このうたもその前後の日の感覚をよびもどして味わわなければならない。暑さのなかにもときおりひんやりとした風が吹く時節である。
擬人化は、読む者の意表をついておどろかせるのみならず、本来の物の性質を拡大して伝えることを可能にするが、失敗すると恣意的なおもいこみによって物の本質を歪めることになる。イソップの寓話は、蚤と牛、はてには太陽と北風までもふくめた生きとし生けるものを適切にそして適度に擬人化しているので、読む者に嘘を感じさせないだけでなくふつうの眼には気がつかない物の本質をユーモラスにおしえてくれる。
このうたでは、夏と秋が擬人的にあつかわれている。しかし、ひとに擬しているというよりも、生きものとしてあつかわれているといったほうが適切だろう。一首は、夏と秋とが行きちがう空の路では、片方に涼しい風が吹いているのだろうか、という。むずかしい歌ではなくうたの良さも素直につたわる秀歌なのだが、敢えてつっこんで考えたいのは、「ゆきかふ空の通ひ路」とはどのようなものなのかということだ。一見わかるようで、いざ具体的な図を描いてみようとするととまどう。
まず「ゆきかふ」をみる。おもに、行き来するという直線的な往復でもちいるとき(「あづまぢにゆきかふ人にあらぬ身はいつかは越えむ逢坂の関 後撰733」)と、あるものが去ってほかのものが代わってゆく(「ゆきかふ時時に従ひ、花鳥の色をも音をも、おなじ心に起き臥し見つつ」<源氏 早蕨>)というときに用いられる。前者ではひとが、後者では自然現象が対象になっているようだ。躬恒のうたも、ふつうに捉えれば後者の意にあたるだろう。そのとき、かの有名な「月日は百代の過客にしてゆきかふ年もまた旅人なり」という芭蕉のことばが、この躬恒のうたの解釈をおおいに助けてくれる。ここでは時間のながれが旅人になぞらえられている。自然現象を擬人化することで、「ゆきかふ」という語に両義的なふくらみが付与されている。
つぎに「空のかよひぢ」を考える。わたしが疑問におもったのは、この通い路が、天と地をむすぶような垂直の道であるのか、それとも地上に平行してのびている天上の道であるのか、という点だ。はじめわたしは後者をとって、地上をはるかはなれた所に道がのびていてその上を夏があゆんでいてまもなく秋の背中にたどりつく、というイメージで読んでいたが、それでは地上に夏がいないことになってしまう。やはり、天と地をむすぶ垂直的な道ととらえるべきなのだろう。おなじ古今集に、
「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ 遍昭 八七二」
とあるが、「雲の通ひ路」は「雲へとつづく路」、あるいは「雲を通ってゆく路」として詠まれている。とすると「空のかよひぢ」も「空へとつづく路」ととらえるべきか。
以上をあわせて考えると、「夏はまだ地上にいるがそれも今日かぎりで、あすには空へと帰ってゆく。代わりに秋があした空から地上にやってくる。しかし、地上はなお暑く秋の片鱗はうかがえない。それでも、夏と秋がまもなくすれちがう空の通い路の片側には、涼しい風が吹いているのだろうか。」となろう。
さいごに「かたへ」という語を考えたい。これは、天と地を水平に切断して秋の居る天のほうを「かたへ」といったのか、それとも、天と地をむすぶ通い路において秋の通る側を「かたへ」といったのか。いままでの捉え方でゆくと、後者のほうが正しいのだろうが、秋はまだ天にとどまっているはずだから前者もまちがってはいない。両方を重ねてあじわうべきだろう。六月の最後である今日、まだ秋は天にとどまっているがまもなく通い路をとおって地上におりてくる。もしかするとすでに歩きはじめているのかもしれない。「かたへ涼しき風や吹くらむ」の「らむ」という現在推量が効いている。いまは天上で涼しい風が吹き、まもなく地上に涼しい風が吹く、このふたつの移り変わりのにじみがうたのイメージの源泉となっている。
暦と現実のズレを興じるのは古今集によくみられる姿勢で、その冒頭歌、
「年のうちに春は来にけり一年を去年とやいはむ今年とやいはむ 在原元方 一」
をみればわかる。この暦への態度は江戸までつづき、芭蕉の、
「文月や六日も常の夜には似ず」
につらなる。これは七夕の前夜の句。これなどは躬恒のうたとおおいにかよう所がある。さらには、
「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日 俵万智」
にも受け継がれている。完全に暦への関心は絶たれたわけではない。
ある日、源俊賴は、紀貫之と凡河内躬恒はどちらがまさっているかと問われたとき、「躬恒をば、なあなづらせ給ひそ」といったという。今回のうたを口ずさむたびそのことばが浮かんでくる。