石麻呂に我物申す夏痩せに良しといふものそ鰻捕り食せ 大伴家持
石麻呂に我物申す夏痩せに良しといふものそ鰻捕り食せ 大伴家持 三八五三
訳)石麻呂どの
ひとつ物申したいと存じます
夏痩せに
良く効くとかいう
鰻を捕らえて召し上がれ
○『万葉集』巻十六。前書き「痩せたる人を嗤咲ひし歌二首」のひとつ。「むなぎ」は、うなぎの古名。「吉田連老、字を石麻呂といふ」人がいた。彼は「仁敬の子」、慈しみ深く物腰のやわらかい人だったのだろう。(ただし、この表現にもやや嘲笑の意があるか)「身体甚だ痩せ、、多く喫ひ飲むと雖も形は飢饉するに似たり。」いくら食っても飲んでもいっこうに太らず、体内はつねに飢饉がおきてるようだ、という。そのさまを家持がからかってこの歌をつくった。古今を問わず、ウナギは滋養の食物だった。敬語を多用することであざ笑う調子を出す。もう一首は、
痩せ痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな 三八五四
(痩せこけるとも生きていれば結構です。万一、鰻を捕ろうとして川に流される、なんてことがないようご用心。「はたやはた」は、もしも万が一にも。)
疑問におもうのは、このからかいがどの程度のものなのかということだ。本気であざ笑っているのか、親愛の情をこめてからかっているのか。家持と石麻呂がどのような関係あったかわからないので、テキストから読みとるしかない。おそらく、宴会かなにか公の場の一興として、座を盛りあげるためにつくられたうたではないか。うたに演技が感じられる。その座にいたひとはうたをきいてゲラゲラわらい、石麻呂こと吉田連老もあたまを掻きながらはにかんだのではないか。しかし、巻十六にでてくる「嗤い」のうたはどれも痛烈で、現代の感覚からすると場を盛りあげるというよりも場をしらけさせるような内容をうたっている。ほかの「児部女王の嗤ふうた」(三八二一)、「池田朝臣、大神朝臣奥守を嗤ふ歌」(三八四〇、三八四一)、「黒き色を嗤咲ひし歌」(三八四四)、「僧を戯り嗤ふ歌」(三八四六、三八四七)などをよむと、家持も本気でからかっているようにおもえてしまうが、こういう解釈は古代人の生活や社交のありかたをしらない者の解釈なのだろう。
こうした残酷な笑いというのはどんどん消えている。「傷つけない笑い」が賞賛される時代なので、しらずしらずその影響をうけてしまうのはやむを得ないが、その感覚をもって古人をはかろうとすると見誤ることになる。現代人からすれば残酷でも、古代人からすればなんてことない戯れひとつだったかもしれない。そして現代ではなんともない笑いも、後世では残酷だとまゆをひそめられているかもしれない。