多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき 東歌・武蔵国の歌
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき 東歌・武蔵国の歌 [三三七三]
訳)多摩川にさらす
手織りの布、さらさらと
さらにさらに
この児が愛しいのは
どういうわけだ
○『万葉集』巻第十四。巻第十四は、東歌を収める。中央の貴族は「あづまびと」をさげすみながらも、ときにその異風を賞翫した。「多摩川にさらす手作り」までが「さらさらに」をみちびく序詞。「手作り」は、手織りの布。「さらさらに」は「さらに」を重ねた副詞。布のなめらかさが感じられると同時に、川のながれがきこえるようだ。布の白さも、相手の容顔を連想させる。「ここだ(幾許)」は、こんなにも。「かなしき」は「愛しい」とも書け、押さえがたい痛切な情動の表現。「愛しい」では甘ったるい。
個人的に、序詞を用いた和歌のなかで最高峰のひとつ。口調もいい。上の句は、母音Aを基調にt音とs音がここちよく織りなし合い、下の句では母音Oのリズムでk音が小鼓を軽快にたたくようにながれてゆき、「かなしき」でクライマックスをむかえる。イメージ、音調、内容、ともに清澄可憐な一首。