夏虫の身をいたづらになす事もひとつ思ひによりてなりけり 読人しらず
夏虫の身をいたづらになす事もひとつ思ひによりてなりけり 読人しらず 五四四
訳)夏の虫が、飛んで火に入り
身をいたづらに
ほろぼすことも
わたしと同じく「おもひ」といふ火に
誘はれてのことだったのだなあ
◯『古今和歌集』巻第十一、恋歌一。「いたづらになる」は死ぬこと。「飛んで火に入る夏の虫」という諺はいつ生まれたのだろうか。このうたを読むかぎり、平安時代にはあったとおもわれる。火に飛んで身をほろぼす蛾のごとき夏虫と、思ひ(火)によって恋の道に迷い衰弱した我が身とをかさねあわせ、夏虫の不可解な行為にあらためて同情をよせる。「けり」は詠嘆ではなく気づきのニュアンスで味わうべきだろう。作者はひととおり恋を経験し尽くしたあとに、夏虫のようすを見て、自分が恋のほのおに飛びこみ破滅の道をあゆんでいたことに気がつくのである。実感というより機知によるうたといえよう。