百日紅ごくごく水を呑むばかり 石田波郷
百日紅ごくごく水を呑むばかり
◯『鶴の眼』(1939)所収。百日紅の和名はサルスベリ。夏から秋にかけて百日ほど淡紅、白色の花をつける。猿もすべり落ちるというなめらかな木目と、炎天下のもとに咲く淡い紅色があいまってはかとない涼しさをもたらしてくれる花。東京でもよく見かける。いまちょうど盛りです。
退屈、アンニュイ、というのは文明社会のキーワードのひとつで、それはやがて頽廃をみちびく。よかれあしかれこうした倦怠感は、藝術家につきものだ。ボードレール然り、萩原朔太郎然り。この句をよんで感銘をうけるのは、その退屈のみづみづしさだ。百日紅のさく真夏日、作者はただごくごくと水をのんでいる。高温多湿な日本の風土は、ひとの精気をたやすく奪う。しかし、この句には倦怠感につつまれつつも、若い生命力がみなぎっているのが感じられる。都市の倦怠でなく、田園の孤愁とでもいおうか。東京でつくられた句ではあるが、俳句というジャンルがそう思わせるのだろう。「百日紅」と「ごくごく水を呑むばかり」という取り合わせの妙。
石田波郷は、「馬酔木」に参加したのち主幹誌「鶴」を創刊。俳句の正統派というべき存在で、古典をおもわせる雅味と清新さがあい存する俳句をおおくのこした。
苺食ひ談了りたる懐手
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ
月蝕の謀るしづかさや椎若葉
(以上『鶴の眼』より)