夏河を越すうれしさよ手に草履 蕪村
◯前書き「丹波の加悦といふ所にて」。こういう俳句には解説は要らない。解説が要らないというのは、わかりやすいと同時に親しみやすく、特殊な経験や高度な知識を必要とせずに、その意味がただちに感得されるということだ。それは、ややもすると卑俗におちいる。しかし、蕪村のこの作は抒情詩の手本といえるような純度がある。暑き日に裸足を川にいれるきもちよさが自分の在りし日の思い出とかさなってつたわってくる。だれもが経験するようなことをこんな風に結晶化できるのかと驚かされる。
あえて贅言すれば、「手に草履」とさいごに置くことで、二句目で切れてリズムに抑揚がうまれ、且つ川の映像から草履を手にもち、服をまくりあげ、いまにも渡らんとしている人物へと焦点が変わることによって、一読後も鮮やかな視覚があたまにのこり余韻がぐっと引き締まる。これを「手に草履夏河を越すうれしさよ」としてみると、うける印象の差が歴然とする。こちらは、ぼんやりとした情感のほうに焦点があたるので、イメージの喚起力がよわく感銘がいくらかうすれる。
結局ぴいちくぱあちく述べましたが、こういう詩はだまって味読するにかぎりますね。