遠空に今し消えむとする雲の孤雲見をり拳かたくして  前川佐美雄

 

 

遠空とほぞらに今し消えむとする雲の孤雲ひとりぐも見をりけんかたくして  前川佐美雄さみお

 

〇『捜神』(1964)所収。口でどなるだけが怒ることではない。むしろそれは、怒りの質の低さをしめすことにでもある。遠い空にいまにも消えそうな雲がみえる。それも「孤雲(ひとりぐも)」である。これは快晴の空だろうか、それとも曇り空か。快晴ならあおい空を背景にぽつんと雲がうかんでいる様子だろうし、曇り空ならいくつも重なる雲にはずれて、消えそうな雲がうかんでいる図がみえる。おそらく「遠空」というのだから、見晴らしのよい快晴なのだろう。個人的には曇り空の印象もうけるが。その孤立したはかなげな雲を作者はじっとながめている。それもかたくこぶしをにぎりしめながら。異端の道をあゆみつづけてきた作者ゆえ、その雲の消えなんとする瞬間をただならぬ思いでながめているのだろう。雲への共感とともに老いた自分へのいらだちも感じる。「拳かたくして」の一句により、四句目までの写実描写に悲壮なひびきがこだまして、柄のおおきい一首に仕上がった。前川佐美雄は『植物祭』(1930)の前衛的な歌風から、しだいに平明かつ沈勇なうたにかわっていった。どちらもあじわい深い。

 

いきどほりさげすみしあとさびしくまなことぢ立木の中のぼりゆく

 

まむかひの山の杉老いて平凡に梢より白く枯れて鋭かり

 

いくたびか豹変もせりあはれなるわが生きざまの今はゆるがぬ

 

花すぎてほこり風立つ街のなか汚れゐるあか犬を見つつくち拭く

(以上『捜神』より)

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