夢さめてねざめの床の浮くばかり恋ひきとつげよ西へゆく月 菅原孝標の女
訳)夢がさめて
寝覚めたての床は
なみだで浮かんばかり
それほど恋しくおもったとつげておくれ
西へゆく月よ
◯『更級日記』より。日記の後半、老いた作者の回想が断片的に書かれている箇所がある。なかでも、宮中で時をともにした同僚との交流そして別れの場面は胸をうつ。「うらうらとのどかなる宮にて、おなじ心なる人、三人ばかり、ものがたりなど」をうちかわすが、やがて別れて三人でうたを交わし合う。作者は
袖ぬるる荒磯浪としりながらともにかづきをせしぞ恋しき
(荒波に潜れば袖がぬれるように、宮仕えをすれば苦しく涙がこぼれると知りながらも、あなたたちといっしょに仕えてきたあのころが恋しくてなりません。)
と送り、他のふたりも返事をする。そのあとにこうつづく。
同じ心に、かやうにいひかはし、世の中のうきもつらきもをかしきも、かたみにいひ語らふ人、筑前(現福岡)にくだりて後、月のいみじうあかきに、かやうなりし夜、宮にまゐりてあひては、つゆまどろまず、ながめあかいしものを、こひしく思ひつつ寝いりけり。宮にまゐりあひて、現にありしやうにてありと見て、うちおどろきたれば、夢なりけり。月も山の端近うなりにけり。さめざらましをと、いとどながめられて、
夢さめてねざめの床の浮くばかり恋ひきとつげよ西へゆく月
はじめ読んだときは前後あわせてひとつの挿話とおもっていたけど、よく読むと「同じ心に」は「同じような心持ちで接した人」と解せるし、つぎも「かやうにいひかはし」とあるので、また別の宮中のなかまのことだろう。筑前に去っていったその友を恋うあまり、夢のなかで友に出会うがすぐにめざめてしまう。そして、今回のうたをひとりで詠む。
どの時代でも「世の中のうき(憂き)もつらきもをかしき(可笑しき)も、かたみに(互いに)にいひ語らふ人」がたいせつなのはかわらない。作者は、良い家柄にうまれたのでもなく、宮中で栄華をあじわったわけでもない。きびしい現実に直面したとき、しばし目をそらすことで耐えようとするものだが、この作者にとってその役割は「夢」がおおく担っていた。ひとつは源氏物語をはじめとした物語の理想的な人物にわが身をかさね現実をわすれることで、もうひとつは文字通りの夢で、この日記をよむと作者がたくさんの夢をみていることに気づく。夢はかならずさめる。たくさんの夢を見、そしてさめてきた作者は現実と夢のあいだにはさまれおおくの憂きを味わってきたのだろう。
1000年もむかしの夢も、ひとりの女性が克明に書き残してくれたおかげで消えることなく後世にまでのこった。友を恋しくおもうあまり見た夢も、覚めてぽつねんとしてこぼれた独詠もあわせてわたしたちは知ることができる。そのよろこびはなににもかえがたい。