さみだれの晴れ間も見えぬ雲路より山ほととぎす鳴きて過ぐなり 西行
さみだれの晴れ間も見えぬ雲路より山ほととぎす鳴きて過ぐなり 西行
訳)五月雨どき
なかなか晴れない
雲のみちを
山ほととぎすが
鳴きながら過ぎてゆくようだ
〇『山家集』上。また、「御裳濯河歌合」、「山家心中集」にも。西行は平安末の歌僧。ほととぎすは四、五月ごろに渡来する候鳥で、夏を代表する詠物。勅撰和歌集の夏の巻をひらけば、ほととぎすの大群におののくことまちがいなし。
「梅雨空からかすかにほととぎすの声がきこえるが、それも遠ざかってゆく」、という。ナリは伝聞推量。暗やみのなか、すがたは見えないが雨音の奥にきこえる鳥の声、そして二重にかさなる音のいっぽうがしだいにうすれてゆくさまに幽玄を感じる。
・ひと声はさやかに鳴きてほととぎす雲路はるかに遠ざかるなり (千載集・夏・源頼政)
・待つ人の宿をば知らで時鳥遠の山べを鳴きて過ぐなり (金葉集・夏・筑前)
・ほととぎす雲路にまよふ声すなりをやみだにせよ五月雨の空 (金葉集・夏・源経信)
といった先行歌につらなるうたといえよう。ただ、ひと息でながれるようなしらべを生みだしたのは、さすが西行。