迷ふべき方も今無し行くほどにすべて心の故郷となる 與謝野寛(鉄幹)
〇『老癡集』(1934年)より。鉄幹晩年の作。若くして名を挙げ、壮烈な歌風で若者を魅了したが、その生涯は不遇だった。周囲からは追いやられ、さらにとなりには晶子という大歌人がいて、その存在はうすまるばかりであった。しかし、かれのうたは現代にのこるべき魅力をもっている。
古代ローマの哲学者セネカに「賢者にとって、あらゆる場所が祖国なのだ」ということばがあるが、そのこころに通ずる歌だ。みずから歩んだ道はたとえ辺鄙であろうと、困難であろうと、いずれなつかしく心のふるさとになるのだから迷うことなく行こう、と鉄幹はうたう。かれの苦難の一生をおもいやるとき、このうたが強がりでもなく、人生の裏付けをともなったうたとしてひびく。
・苦しみし六十年の我が末にたのしき除夜の那須の温泉
・寛らの乏しきをすらあめつちは容れて光れり大いなるかな
・一生に無著の日多しその無著を今は楽しむ一生の末
・世に壓され時に醜く惑へども父を思へば一すぢとなる