しのばじよ我ふりすててゆく春のなごりやすらふ雨の夕暮  藤原定家

訳:偲ぶまい
  わたしを見捨てて
  去ってゆく春が
  なごり惜しそうになおもとどまり
  しとしとふらす雨の夕暮を

 

○『拾遺愚草』秋日侍太上皇仙洞同詠百首応製和歌より。定家三十九歳。春のおわりを擬人化し、男女のわかれと重ねて詠んだ。「我」は女、「春」は男。男は女のもとを去ってゆく。しかし、なお未練が残っていて去りかねている。けだるく、なまあたたかく、しとしとと嘆きをうったえるかのように雨がふる。ときは夕暮れ、女は気丈にふるまい「しのばじよ」とじぶんに言いきかせる。だが「しのばじよ」という語は、偲ばずにはいられなくて身にむちを打ったときに発せられる。春はかならず去ってゆく。夏が目のまえにひかえている。女は縁側に座り、啾啾とふる雨をながめ、夕暮れにひとりもの思いにしづむ……

ちょっと想像を逞しくしすぎたでしょうか。「なごりやすらふ」が急所で、前半の感情的で人くさい描写と、五句目の静的な情景とをみごとにつなげて一首全体をひきしめている。きほん定家の和歌は味が濃すぎて胃もたれするのですが、それでもこうした濃艶な世界をあじわうとやめられないですね。

参照:『藤原定家全歌集 上』久保田淳校訂・訳、ちくま学芸文庫

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