ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えし蜻蛉  薫(源氏物語)

あなたを目のまえに見て

手を伸べたけど届かなかった

今度こそはと見れば

またもどこかへ消えてしまった

蜻蛉よ

 

『源氏物語』蜻蛉巻。薫は、宇治ではじめて大君を見たことを回想し、大君亡きあとそのゆかりと思った浮舟までもが失踪したことをひとり嘆く。宇治十帖では大君、その妹の中の君、異母妹の浮舟と三人の女性が登場する。薫はいずれの女性にも接近するがうまくゆかない。

あやしつらかりける契どもを、つくづくと思ひつづけながめ給ふ夕ぐれ、蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを

 見て、上掲のうたを口ずさみ蜻蛉の巻はおわる。もちろん巻名はこのうたに由来する。

この単純素朴な独詠のなかに、長きにわたった宇治の物語が凝縮されています。宇治十帖はどのような物語かと問われればこのうたで答えることができるでしょう。追いかけては逃げられ、また追いかけては逃げられる。いや、「逃げる」という語は男性本位な言葉かもしれません。単なる好色な男が女を取り逃がす話ではない。追われる女の苦悩、追う男の葛藤、その両方が繊細に描かれていて、読者は、あらがい難いひとつの運命に収斂してゆくこの物語にはもはや安い恋愛話の影もないことを知らされるでしょう。薫のこのうたは悲恋の意味合いだけでなく、人生のはかなさも暗示しているのが魅力でもあります。

 

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