新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事

あらたしき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事よごと  大伴家持

    

  きょうは新年のはじまり

  そして折しも

  立春でもあるきょうの

  ふりつもってゆく雪のように

  き事が積みかさなってゆく年でありますように

  

 

  万葉集四五一六。アタラシは新しい、イヤはますますで、シケ(頻け)はたび重なるの意。時に家持は42歳。因幡(現鳥取県)国庁の饗宴での詠。元日と立春の重なった日にふる初雪をみて、豊年を祈った。新年にふる雪は豊作の瑞兆とされていた。例:三九二五(あらたしき年の初めに豊のとししるしとならし雪の降れるは)

  この歌は、もっとも流麗な調べをもつ和歌のひとつだと思います。「の」をはじめとするo音を基調にa音をうち挟んで四句まで流れるようにつづく。ここまでが眼前の様子であると同時に序詞をなしてイメージを醸し出し、五句目の祝言を豊かに演出する。音だけでなく意味においても切れることがないので非常に理解しやすく、宴会という耳によって聞き取らなければならない場であったことと思い合わせると、歌人としての家持の腕がうかがわれます。

  雄略天皇の求婚歌ではじまった万葉集は、この歌を以て幕を閉じます。役人として国の繁栄を祈るすがたと、和歌によって国を称え民の心をあらわそうとする歌人のすがたが重なって祝言性を高めている。まさに万葉、すなわち万代を言祝ことほぐにふさわしい歌といえるでしょう。

  この歌のしらべを味わったあとにきまって思い浮かべるのが、志貴皇子の

 石ばしる垂水たるみの上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかも  [ 一四一八]

で、ここでもやはり「の」が歌の肝になっている。こういうおっとりとした歌が今はなかなか無いですね。

 

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